雨のち晴れ

自由帳

作業の抜けにどう対応するか...ToDoリストを作ってみた

こんにちは!

今日は作業の抜けについて書きます。

今のバイトは、A作業をしながらB作業をしつつC作業を気にかける、そんな仕事内容です。これ、僕が極めて苦手とするマルチタスクを必要とする作業なんですね。A作業をしつつB作業をメインでしているとA作業を忘れたりするんです。「たっちくん!AとC作業やってないよ!」なんてことがよくある。

それにどう対応したらいいのか...。

ToDoリストを作りました。

実際のリストがこちらです!

f:id:yuki_H:20190213154509j:plainf:id:yuki_H:20190213153829j:plain

自分でマニュアルを作って、それをわかりやすいようにリスト化しました。なので、仕事の時は、自作のマニュアルとToDoリストを常に持ち歩いています。右からNo.1で左に進むにつれて作業が完遂するようになっています。常に胸ポケットに入れてリストを確認して、終わればその都度チェックしていきます。No.3にはルーズリーフを綴じ込むバインバーをカットして作った下敷きがリストにくっついています。これで、机がない場所でもリストに書き込めたりしやすいようにしました。

新しい職場に入って1ヶ月半が経過して、ある程度作業を覚えてもToDoリストを使います。ここで「もう仕事を覚えたから大丈夫」なんて思った日には...作業に抜けが現れます。仕事を覚えても地道にリストを確認してチェックしていくことが自分には必要です。いい意味で自分を信用しない。

そうそう、主治医が教えてくれたんですが、手首に巻きつけるリストもあるようです。ただ、自分の場合、タスクが多いのでウェアラブルメモではなく定番のToDoリストを選択しましたが...。

 

<最後に>

ToDoリストを作る前と作ったあとでは格段にミスが減りました。リストを見ればどの作業が中途半端なのかが記憶を辿ることなく客観的にスパッとわかるので安心感があります。もし、ADHDの人やその傾向がある人で仕事内容をToDoリスト化できるのなら、試してみるのもいいのかもしれません。結果が良かったらラッキーくらいの気持ちで。

ADHDだったとは

こんにちは!

発達障害は総称であって個別の障害を表す言葉ではない>
まず、ここをはっきりしておきたいです。「発達障害」は自閉スペクトラム症、注意欠如多動症、限局性学習症の総称です。なので、「発達障害」と言っただけでは具体的にどういう障害なのか、どういうことに困っているのかがわかりません。このブログでは、どういう障害について書くのかそれをはっきりさせてから書くようにします。


初回の自己紹介でも書いている通り、僕は注意欠如多動症/注意欠陥多動性障害ADHD)です。メディアなどで「ADHD」とか「発達障害」という言葉を目にしたり聞いたりする機会が増えたなと思います。今回はADHDと診断されるまでの体験を書きます。この症状に当てはまるからADHDなんだと自己診断はしないでください。


<生まれた時から現在までの様子>

生まれた時〜保育園

・生まれた時から物音に敏感だった
・寝ている時以外が常に動き回っていた
・3歳くらいになるとさらに活発になり家へ連れて帰るのが大変。家に帰らないので外でご飯を食べさせていた。
・おやつを買う時は選ぶのに30分くらいかかった
・保育園に入り落ち着きがないと感じることが多かったが、出歩くなどはなかった
・テレビを見たり1つのことに集中するのが大変そうだった。カーテンに包まりながらゆらゆらと動きながら見ていた
・外遊びが大好きで泥まみれ水まみれは日常だった

小学生〜高校生

・読み書き計算の学力は低め
・小心者で生活態度は良く先生から褒めてもらうことが多かった
・ドリルワークは集中することが困難でイライラしていることが多かった
・特に算数は高学年になっても足し算、引き算、割り算など簡単な問題で間違えることが多かった。数字がバラバラで1つのまとまりとして考えることができていない様子だった
・注意散漫で次から次に興味があるころ、思いついたことを始めるが、結果はやりっぱなし出しっ放しにすることが多く家族を苛立たせた。
・雑学というか情報量がすごかった。大人が知らない細かいことをスラスラと面白おかしく話せる話術があった。
・中学・高校では、日常生活、勉強、親子関係、学校で苛立つことが多くなり、癇癪を起こすと自室の物を手当たり次第にぶちまけて暴れていた。
・よく相手から「話し聞いてんの??」と聞かれていた

大学生〜現在

・単純作業の時に寝てしまう
・注意を持続するのが困難
・自分の興味がないことをするのが苦痛
・衝動的にお金を使う
・言葉を額面通りに受け取りやすい
・じっとしているのが苦手
・過集中
・単純な計算をミスる
・暗算ができない

てな具合でした。ADHDって教室でじっとできなくて離席してしまうイメージがあったので自分には当てはまらないだろうなと思っていました。現在の困りごとも「性格」なのかなと考えていました。


<診断に到るまで>

以前通っていたクリニックで薬の副作用で10kgほど太った時に「このまま体重が増えるとやばい!」と思って、現在通っている診療所にセカンドオピニオンに行きました。その時にADHDの疑いがあるから知能検査WAISをしてみましょうかと提案をされたわけです。知能検査の結果、ディスクレパンシーが30あって、また、生育歴聴取の結果からADHDと診断を受けました。

ADHDだったとは。

ちなにみ、能力の発達の差を表すディスクレパンシーですが、だいたい15の差があればADHDの疑いがあるとされるようです。あくまで疑いです。

算数ができないのでLDかなと考えたこともありましたが、どうやらADHDの不注意からくる症状とのことです。単に「ADHD=多動」という簡単な図式ではないようです。難しいですね。

<現在>

今の診療所でMMPIも受けました。当時大学4年生で大学院へ進学を考えていましたが、自分がADHDであることが引っかかり誰にも相談せず結論を先延ばしにしてきました。先延ばしにした結果、留年しました。大失敗です。

主治医から「たっちさんどうするの?」と聞かれて「法律でご飯食べたい(法学部だったから)」と言ったら「向いてないよ」と言われました(笑)じゃなにが自分に合っているのかなぁと考えた結果、教職課程や学童保育の経験から心理に関わる仕事=臨床心理士はどうかと思い主治医に言ったら「たっちさんに合ってる!それいいよ!!」と言われました。変わってる主治医です。


<最後に>

じつは中学生の時に親から「ADHDっぽいから検査に行こうか」と言われたことがあります。僕は「そんなの分かったところで何も変わらない」とその提案を突っぱねました。当時の自分に「その時に検査に行っておけば人生変わったかもよ」と言ってやりたいですが、過ぎてしまったことは仕方がない。ただ...こんなに苦労する必要は無かったのかと思ったりもします。

大学4年生でADHDの診断が出たので、割と早い段階で自分としっかり向き合えるきっかけになったと思います。障害と向き合うのは本当に大変ですが...。

ポジティブに考えるとADHDもうまく味方につけると才能になり得るのかなと思ったりもします。過集中だったり、空想だったり、多動だったり...なんかうまく使えそうな気がしないですか。たまには前向きに。

なんかまとまりがないですが...。
では笑

ストラテラは副作用だらけ、コンサータは効いてると思う

こんにちは!

今日は僕が服用してるADHDの治療薬「ストラテラ」と「コンサータ」の効果についてです。これら書く内容はあくまで僕個人の感想です。

<副作用だらけのストラテラ
ストラテラは副作用がひどかったです。口渇、お腹の張り、悪心などなど。口は乾くわ、オエオエなるわ、薬を飲んでるのに身体状況が悪化してない!?と。で、僕にとっての1番の副作用は、過集中と想像力というか空想というかそれが無くなったことです。おそらく、ストラテラは騒がしい頭の中を静かにする薬なんだと思います。だから、過集中も空想も無くなった。これが一番辛かったですね。人生、おもしろくなくなったと思いました。そういったことを体験して以来、ストラテラは服用していません。ADHDの症状より副作用の方が負担でした。

コンサータの効果は感じるけど微妙>
ストラテラがだめだったらと登場したのがコンサータ。主治医から「コンサータの作用は覚せい剤と似ているから注意しながら使わないといけない」と言われました。ということは、めちゃめちゃ効くんじゃないか!なんて思ったけど大して効果は実感せず。唯一、実感した効果といえば単純作業の時に眠くならずに作業ができたとうことくらい。...もしかして、これって大きな効果なのか。あと、副作用としては胃が少しムカムカするくらい。ストラテラよりは副作用が軽かったです。


ADHDの診断が出たと時は「これで薬物治療ができる!!生まれ変わるんだ!!!」と大きな期待を抱きました。しかし、実際は違かったです。ストラテラは副作用だらけ、コンサータは微妙にしか効かない。毎月高いお金だして治療する意味あるのかなと疑問に思ったほどです。それでもコンサータを飲み続ける理由は、少しでも効果があっていい影響があるからでしょうか。飲まないより飲んだ方がいい、そんな程度です。

今日はストラテラコンサータについて書きました。

ADHDのことについては、後日また詳しく書きたいと思います。

では!

同性婚になるとなぜか物との婚姻がでてくる件

こんにちは!

以前のブログで、除外した話題があります。それは物や動物との婚姻です。

yuki-h.hatenablog.com


同性婚に反対する人や批判的な人の中には、「同性婚を認めるということは婚姻を際限なく広げ、近親婚や物や動物との婚姻を認めなければならなくなる」と主張する人がいます。果たして正当な主張なのでしょうか?現行の民法の規定を参考にしながら考えたいと思います。

法律上、婚姻が成立するためには以下の要件を満たさなければなりません。

①婚姻する当事者間に婚姻をする意思があること
②婚姻を妨げる法律上の障害がないこと
 (イ)婚姻適齢。民731条
 (ロ)重婚の禁止。民732条
 (ハ)再婚期間の禁止。民733条
 (二)近親者間の婚姻の禁止。民734条〜736条
 (ホ)未成年者の婚姻についての父母の同意。民737条
③婚姻届の提出。民739条

以上の要件を満たした場合に婚姻が成立するわけですが、今回はこの法律を参考に果たして同性婚を認めると物や動物との結婚まで認めないといけないのかを検討していきたいと思います。

①の「婚姻する当事者間に婚姻をする意思があること」に注目します。婚姻をする意思つまり婚姻意思について最高裁は「当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思」が必要であるとしました。

例えば、お互いに夫婦になることを確認してお互いが同じ家に住み生活費を出し合って暮らせば社会観念上の夫婦であると認められます。しかし、家族は多様化してしています。石田さん家のように別居していても夫婦として暮らしている家族もあります。お互いに性的関係を一切に持たない約束をして夫婦もいるでしょう。しかし、判例では愛情や信頼があれば婚姻意思があるとみなされます。

なぜ、婚姻意思があったりなかったりと分かるのでしょうか?それは互いに意思疎通できる人間だからです。自分自身の意思を他人を通すことなく客観的に示すことができます。しかし、物や動物はどうでしょうか?自らの意思で客観的に婚姻意思を表明できるでしょうか?ほぼ不可能に近いと思います。

車や人形、犬や鳥などが婚姻意思を表明できるでしょうか?

普通に考えればできないと思います。
だから法律上の婚姻要件を満たさないので婚姻ができないのです。

婚姻できないものを同性婚と同列に並べて婚姻に反対する方法は、正当な主張ではないと思います。




配慮は特定の誰かのものではない

こんにちは!
今日は、あるtweetをみて「それって違うんじゃないか??」と思ったことがあるのでブログにしたいと思いました。まぁ思考の備忘録という形で...。


引用をする形でブログを書くのは、相手に喧嘩を売っているみたいで気が進まないですが、相手が言っている内容やニュアンスが正確に伝わるようにあえて引用という形で書かせていただきます。 


永山さんがおっしゃるように「へーだからなに??」という社会を目指すのは完全に同意です。オーストラリアとかニュージーランドではこういう状況だということを東京にいた時に当事者から聞いたことがあります。男性が「彼が」、女性が「彼女が」と言っても会話が止まらないと。相手も特に突っ込んでこないそうです。会話にストレスがないって良いですよね。日本もそういう社会になってほしいです。

ここからが、永山さんと全く考え方が違います。

まず、援助について。

宝塚大学看護学部の日高廣晴教授によれば、2014年の調査に協力したゲイ・バイセクシュアルで11歳〜19歳の男性1,096人うち、44%が学校でいじめを受けていました。さらに、全体回答者の約18%、10代に限ってみれば約23%に不登校の経験がありました。また、『「出る杭は打たれる」日本の学校におけるLGBT生徒へのいじめと排除』によれば、2014年に女子大学生が教員にカミングアウトしたところ、LGBTの問題を全学生の前で説明するように求められ、その後学生が自殺した事例もあったり。最近だと一橋ローの事例もありましたね。

援助というか、誰でもそうですが、生きづらさを感じていたり性的指向のことで悩んでいたりするのならはやり行政のサポートだったり啓発は必要ではないでしょうか。LGBTだから特別とはそういう話しではないはずです。

あと、制服に関してです。これは「皆」という点が事実誤認です。あくまで制服は選択制です。千葉と那覇の事例を挙げます。

 

性的少数者でなくても自由に選択できる制服を望む声も出された。保護者から「女性でもスカートが嫌な人がいる」「真冬にスカートは寒い。スラックスをはけたらいい」といった意見があったという。こうした意見を受け、誰でも自由に選べる制服の導入が決まり、業者には学生服などの衣料品メーカー「トンボ」が選ばれた。「制服、性別関係なく選べます」『朝日新聞電子版』、2018年2月18日https://www.asahi.com/articles/ASL2F4GBKL2FUDCB013.html

 

那覇高校は3学期から、性別に関係なく、ズボンやスカートなど制服を自由に選べる制服選択制を導入する。LGBTなど性的マイノリティーへの配慮や利便性を理由に挙げる。制服選択制の導入は沖縄県内では2校目。学ラン、セーラー服使用校では全国的にも珍しいといい、関係者は「制服で悩む子どもたちが前向きになれれば」と期待している。「制服の性差撤廃 那覇高が選択制導入 3学期から LGBTや利便性に配慮」『琉球新報電子版』、2019年1月5日、https://ryukyushimpo.jp/news/entry-857323.html


最初に千葉市、その後に那覇市の事例の新聞記事を挙げてみました。両方を読んでわかる通り、「選択制」です。スカートを着用する自由もあればスラックスを着用する自由もある。選択肢が増えただけです。永山さんがいう「目立たなくしなきゃ」という話しではなく、「スカートとスラックを準備しました。どちらを着用するかはあなたの自由です」と言っているだけ。そんな大げさな話ですか?

最後の「LGBTに配慮する」は「我々はマイノリティとの間に線を引く」という言葉、マイノリティとマジョリティの分断を煽っているように感じます。永山さんがおっしゃる「LGBTに配慮をする」ということがどういった配慮なのか、具体的に述べられていないので具体的に書くことはできないですが、制服の例を出させれているのでそこから考えてみると、配慮するってことは「選択肢が増える」ということにならないでしょうか。

マジョリティだから配慮されない、マイノリティだから配慮される、という問題ではないと思います。誰もが配慮される対象です。骨折してうまく仕事ができなければ配慮されるでしょうし、風邪を引いてしまったら作業量を減らすとかの配慮があるでしょう。

配慮は特定の誰かのものではないのです。

同性カップルは長続きしない?異性愛カップルの交際期間から仮説を立ててみる

こんにちは!

よく同性愛カップルは長続きしないと言われます。Googleで「同性カップル 長続きしない」と検索すると、長続きしない理由が書かれた記事がたくさんヒットします。同性だから長続きしないのか、それとも同性とかは関係なくただ性格の不一致などが問題で長続きしないのか...判断をするのは難しいところです。同性カップルが平均でどれくらい交際を続けているのかという信頼できる調査はありませんでした。

そこで、同性カップルから異性カップルに視点を変えてみたいと思います。例えば、高校生、大学生、会社員と年齢が上がるに連れて交際期間は長くなるようです。おそらく、結婚を意識してのことだと思います。

また、第15回出生動向基本調査によると、初婚の相手と出会う平均年齢が男性約25歳、女性で24歳。初婚の平均年齢が男性約30歳、女性約28歳とのことでした。交際期間は4.6年くらいです。

ここで、同性カップルに話を戻します。

同性カップルにおいても、付き合うのが高校生、大学生、会社員と年齢が上がるにつれて交際期間は長くなると思います。ここからが異性カップルと違うのですが、同性カップルには婚姻はありません。各自治体が「同性パートナーシップ制度」というものを条例レベルで整備していますが、これは民法が定める婚姻とは全く別物で法律的な効果がほぼありません。例えば、異性カップルのように同性カップルが25歳くらいで、婚姻してもいいくらいの彼・彼女と出会い交際を始めたとしても、異性カップルにはある婚姻が同性カップルにはないのです。

仮説ですが、おそらく3〜5年くらいは続くけど、それ以上になると同性カップルを繫ぎ止める婚姻がないがために、ふたりの関係が長く続きにくいという可能性が大いにあるのではないでしょうか。

今回は婚姻からみた同性カップルは続かない(?)要因を考えてみました。

『Correlates of Gay and Lesbian Couples' Relationship Satisfaction and Relationship Dissolution』という論文を読んでいます。英語の論文なのでなかなか大変ですが、読み終わったらその結果をここでシェアできたらなと思います。なかなかおもしろそうな論文です。

生徒に反抗されて体罰を行うことは許されるのか

こんにちは。

以前書いたブログでは体罰が学校教育法11条や刑法に抵触するのではないか、また、日本行動分析学会の声明文を引用しつつ体罰が許されない理由を書きました。それが以下の記事です。

yuki-h.hatenablog.com

今回、学生時代に集めた体罰に関する判例を読んでいたら、町田市の都立高校であった体罰と似たような事例があったので紹介します。

・事実の概要
教諭(被告人)が放課後に再試験を実施していた際、再試験を受ける必要がなかった生徒が教室内にいたため、生徒を廊下に出させようとしているうちに生徒のスカート丈が校則に違反していることに気づいた。教諭が生徒にスカート丈を正しく直すように指導したが、生徒が指導に従わず口答えするなどしたため教諭が激怒し、生徒の肩付近を2回連続して強く突き、さらに右側頭部付近を突き上げるなのど暴行(体罰)を加えたころにより、生徒がそばのコンクリートの柱等に激突し、その結果生徒を死亡させた。

・教諭(被告人)の主張
①教諭の行為は教育のために行われたもの。
②被害者は家庭での躾が十分ではなく、この点を無視して教諭だけに責任を問うことはできない。
体罰を容認させる空気が学校にはある。その原因は、躾教育や管理主義・選別教育等の功罪が問われるべき。
④定員を超える生徒数、不足する教員。詳細で窮屈な校則、躾教育の重視など教諭に体罰を容認せざる得なかった学校経営体質・教育態様をとったいて高校にこそ大半の責任がある。

・裁判所の判断(教諭の主張と対応するように書きます)
①「教育の名に値しない私憤に由来する暴行」
②ないし④ついて「体罰を禁止する学校教育法11条但書の趣旨は、問題生徒の数が増え問題性よりも深化して教師の指導がますます困難の度を加えつつある現状においても、学校教育の現場において何よりも尊重、尊守されなければならず、ましてや、教師が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべきであるとした」

・判決
刑法205条傷害致死罪。懲役2年(求刑・懲役3年)

参考:福岡高裁1996年6月25日(判例タイムズ921号297頁)

町田市の高校の事例では、生徒に命に関わるような怪我はありませでしたが、こう判例をみると町田市の事例ととてもよく似た事例で生徒が亡くなっていることが分かります。

この教諭は日頃から体罰を行っていたとのことです。TOPにあげた記事『教育における暴力的指導(体罰)がなぜだめなのか - 雨のち晴れ』にも取り上げましたが、まさに日本行動分析学会が「体罰に反対する声明」で指摘するように「体罰を受けると受けた人間の攻撃行動が増す」「繰り返しの体罰で耐性が上がり、同じ効果を得るためにより強い体罰を使わなくてはならなくなる」そういう状況になってしまったのではないでしょうか。人を死なせてしまう最悪の結果に至ってしまった...。

ここに判決文を全て載せたいのですが、そうするととても長い文章になってしまうので、僕が重要だと思う部分だけを抜粋して載せます。

高校生に対する生活指導を含め教育の現場においては当然のことながら対象者の人格の完成度が低い故に多大の忍耐力が要求されることは多言を要しないところであり、生徒に対する懲戒権について定めた学校教育法11条ただし書きで体罰を禁止しているのは、体罰がとかく感情的行為と区別し難い一面を有している上、それらを加えられる者の人格の尊重を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の基本理念と背馳しその自己否定につながるおそれがあるからであって、問題生徒の数が増え問題性よりも深刻化して教師の指導がますます困難の度を加えつつある現状を前提としても、その趣旨は学校教育の現場においてなによりも尊重・尊守されなければならないことはいうまでもない。ましては、生徒が反抗的態度を取ったからと言って、教師が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべきことである。
福岡高判平8・6・25判タ921号297

裁判所は、生徒に挑発されたからといって教師が感情的になり暴行を振るうことは厳に戒められるべきだと述べました。町田市の事例では教師に反抗的な態度をとった生徒に対して大きな批判が起こりました。教師を挑発しているのだから殴られて当然だというような主張です。体罰はわかりやすいです。いきがっていた生徒が教師にボコられて静かになります。短期的には効果があるわけです。長期的にはどうでしょうか。繰り返しになるので言いませんが悪影響があります。当然、殴られて打ち所が悪ければ障害が残ったり死亡したりするわけです。

最後に

生徒に挑発されたからといって教師が体罰を行うことは許されません。 挑発されて体罰を行うということは、教育の名の下に行われる私憤に基づいた暴力行為でしかないからです。また、体罰は最悪人を死なせることになります。そんなリスクを背負ってまで体罰をするべきではありません。