雨のち晴れ

自由帳

「障害者だから」ではなく

僕は注意欠如多動症ADHD)であり双極性障害障害者手帳が交付されている。それを話すと高確率で「障害者にみえないですね」と言われる。おそらく、そのように言った人の障害者像と目の前にいる障害者(僕)が一致しなかったからそういうことを言うのだろうと想像する。たぶん、障害者と言われると目が見えない人や耳が聞こえない人、車椅子で生活する人 、知的障害などを想像するのだろうと思う。

しかし、実際の障害は多くある。障害者基本法では、障害者の定義を「身体障害、知的障害、精神障害があるため長期にわたり日常生活、または社会生活に相当な制限を受ける者」としている。なかでも、身体障害が占める割合がもっとも多い。例えば、身体障害者福祉法では、視覚障害、聴覚・平衡機能障害、音声・言語・そしゃく機能障害、肢体不自由、内臓機能などの疾患による内部障害の5種類に分類している。このように身体障害だけを挙げても様々な障害があることがわかると思う。

このように障害は様々であり、見た目だけでは分からない障害も存在する。

結局のところ何が言いたいかというと、障害があるようにみえなくても障害を抱えていたりする人が世の中にはたくさん存在しているんだということ。そして、その障害を抱えた人が皆障害を持っていることをオープンにしているは限らない。だから、障害があるから配慮をしようとかではなく、困っている人がいたら手を差し伸べるとか配慮をするとか日常生活レベルでそいうことができればいいなと。

そんなことを思いました。