雨のち晴れ

自由帳

配慮は特定の誰かのものではない

こんにちは!
今日は、あるtweetをみて「それって違うんじゃないか??」と思ったことがあるのでブログにしたいと思いました。まぁ思考の備忘録という形で...。


引用をする形でブログを書くのは、相手に喧嘩を売っているみたいで気が進まないですが、相手が言っている内容やニュアンスが正確に伝わるようにあえて引用という形で書かせていただきます。 


永山さんがおっしゃるように「へーだからなに??」という社会を目指すのは完全に同意です。オーストラリアとかニュージーランドではこういう状況だということを東京にいた時に当事者から聞いたことがあります。男性が「彼が」、女性が「彼女が」と言っても会話が止まらないと。相手も特に突っ込んでこないそうです。会話にストレスがないって良いですよね。日本もそういう社会になってほしいです。

ここからが、永山さんと全く考え方が違います。

まず、援助について。

宝塚大学看護学部の日高廣晴教授によれば、2014年の調査に協力したゲイ・バイセクシュアルで11歳〜19歳の男性1,096人うち、44%が学校でいじめを受けていました。さらに、全体回答者の約18%、10代に限ってみれば約23%に不登校の経験がありました。また、『「出る杭は打たれる」日本の学校におけるLGBT生徒へのいじめと排除』によれば、2014年に女子大学生が教員にカミングアウトしたところ、LGBTの問題を全学生の前で説明するように求められ、その後学生が自殺した事例もあったり。最近だと一橋ローの事例もありましたね。

援助というか、誰でもそうですが、生きづらさを感じていたり性的指向のことで悩んでいたりするのならはやり行政のサポートだったり啓発は必要ではないでしょうか。LGBTだから特別とはそういう話しではないはずです。

あと、制服に関してです。これは「皆」という点が事実誤認です。あくまで制服は選択制です。千葉と那覇の事例を挙げます。

 

性的少数者でなくても自由に選択できる制服を望む声も出された。保護者から「女性でもスカートが嫌な人がいる」「真冬にスカートは寒い。スラックスをはけたらいい」といった意見があったという。こうした意見を受け、誰でも自由に選べる制服の導入が決まり、業者には学生服などの衣料品メーカー「トンボ」が選ばれた。「制服、性別関係なく選べます」『朝日新聞電子版』、2018年2月18日https://www.asahi.com/articles/ASL2F4GBKL2FUDCB013.html

 

那覇高校は3学期から、性別に関係なく、ズボンやスカートなど制服を自由に選べる制服選択制を導入する。LGBTなど性的マイノリティーへの配慮や利便性を理由に挙げる。制服選択制の導入は沖縄県内では2校目。学ラン、セーラー服使用校では全国的にも珍しいといい、関係者は「制服で悩む子どもたちが前向きになれれば」と期待している。「制服の性差撤廃 那覇高が選択制導入 3学期から LGBTや利便性に配慮」『琉球新報電子版』、2019年1月5日、https://ryukyushimpo.jp/news/entry-857323.html


最初に千葉市、その後に那覇市の事例の新聞記事を挙げてみました。両方を読んでわかる通り、「選択制」です。スカートを着用する自由もあればスラックスを着用する自由もある。選択肢が増えただけです。永山さんがいう「目立たなくしなきゃ」という話しではなく、「スカートとスラックを準備しました。どちらを着用するかはあなたの自由です」と言っているだけ。そんな大げさな話ですか?

最後の「LGBTに配慮する」は「我々はマイノリティとの間に線を引く」という言葉、マイノリティとマジョリティの分断を煽っているように感じます。永山さんがおっしゃる「LGBTに配慮をする」ということがどういった配慮なのか、具体的に述べられていないので具体的に書くことはできないですが、制服の例を出させれているのでそこから考えてみると、配慮するってことは「選択肢が増える」ということにならないでしょうか。

マジョリティだから配慮されない、マイノリティだから配慮される、という問題ではないと思います。誰もが配慮される対象です。骨折してうまく仕事ができなければ配慮されるでしょうし、風邪を引いてしまったら作業量を減らすとかの配慮があるでしょう。

配慮は特定の誰かのものではないのです。